2015年9月


23日

ルー大公

ご無沙汰しておりました、ルー大公です。驚くほど暑かった夏はほぼ終わりましたが、秋、というには少々時期尚早、といった季節の狭間にありますね。季節の変わり目は体調を崩しやすく、近日私も友人から体調を心配するお声をいただいております。皆さまもどうぞご無理なさらず、ご自愛のほどを。

さて今日は、ずばり「ゲームの優劣」をテーマにいろいろ書き連ねてみたいと思います。
我々の多くはいわゆる「良作」「駄作」あるいは「クソゲー」という言い方をします。また作る側の我々は「より良いゲーム」をと努力を重ねています。しかしここでいう「良し悪し」とは何なのでしょうか。
バグが少ない(ゼロが望ましいが)、操作が直感的で覚えやすく行いやすい、サクサク動く(ドットはぬるぬる動く)などは、「悪いゲーム」でなくなる条件ですが、最低条件であって、こうであっただけで「良作」と呼ばれるゲームにはなりません。
絵や画面が綺麗、耳に残る音楽が使われている、演出に妙がある、シナリオやコンセプトが秀逸である、などは確かに「良いゲーム」によくみられる特徴ですが、これは相対的なもので絶対的ではありません。例えば絵は絵師によって味が違いますし、ディテールが丁寧に描き込まれている絵と白黒でさらっと描かれていて細部は見る側の想像力に任されている絵とでは比べて優劣をつけることが難しいでしょう。
一部にSTGが大好き!とかRPG大嫌い!とかそういう嗜好をお持ちの方が居れば、彼/彼女にとってはジャンルによって「良作・駄作」の線引きは変わってくるのでしょうが、それは別の話です。

このように考えてみると、「良作」を必要十分に定義することがいかに難しいかが見えてきます。
といっても、ある面「芸術」であるゲームの優劣は、本来的に手に取る人によるところ大でありますから、仕方がありません。「良作」と評判のものよりも、たまたま見つけたものの方が自分にとって「良い」という経験もあるかもしれませんね。
しかし、「良作」にするために必要なものが分からないからといって、作り手が適当な気持ちでやれば必ず「駄作」が生まれます。

それでは我々作り手は何を心がけるべきか?
「皆にとって」の良いものに近づけるために、少なくとも「自分にとって」の良いものの実現のために全力を尽くすことです。そうすれば少なくとも自分にとっては、そして自分と似た価値観の人には、「良い」と映るのではないでしょうか。
月並みな芸術論ですが、作り手も満足いっていない作品が、他人様に認められるはずはありませんからね。

……ということでか、予定が延びたり、納期が遅れたりすることが多いのですが

  • 最終更新:2015-09-23 21:58:19

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード